柔道とは異なりオリンピック種目化を目指さなかった剣道。では何を目指すのか

観の目見の目
写真は2012年の第15回世界剣道選手権大会

 別記事「パリオリンピックで阿部詩選手の号泣を見てふと思った、柔道と剣道の人口が減る理由」でも少し触れたが、パリオリンピックの柔道競技に関して、SNSでは「こんなものは柔道ではない」「JUDOではなく日本の柔道が見たい」「日本は国際柔道連盟を脱退して日本の柔道を広める団体を立ち上げるべき」といった意見が多く見られた。柔道がオリンピック種目になって半世紀を過ぎてもそんな意見が多いこと、そして(おそらく)武道をしていない人の間でも、日本の伝統的な武道の姿を変えてほしくないという意見が根強いことに私は少し驚いた。

 それに対し、剣道がオリンピック種目化を目指してこなかったことが慧眼だったと指摘するネット上の記事があった。

 実は剣道も決して最初からオリンピックを目指していなかったわけではない。剣道とオリンピックについて、私個人の考え方の変化も交えながら振り返ってみる。

1964年にはオリンピック種目化を目指していた

 1964年(昭和39)の東京オリンピックには、剣道は公開競技(デモンストレーション)として参加している。10月15日、日本武道館において武道として弓道、相撲とともにデモンストレーションを行い、剣道の持ち時間は2時間半程度だった。10代から80代までの試合をはじめ、少年の基本練習、高段者への掛かり稽古、居合道、杖道、薙刀、古武道の形などを披露している。

 そのプログラムには次のように書かれていた。

「全世界の人々が日本民族伝統の剣道に関心を持ち、その真精神を理解し、互に剣道を通じて友情を深めるようになる時が少しでも早く来ることを心から期待している。その時こそは剣道もオリンピックの一種目として参加できることができるものと信ずる」

 全日本剣道連盟による記述であることは間違いない。明らかに将来オリンピック種目になることを目指している。

 しかし当時はまだ国際連盟すらなかった。国際剣道連盟(当時のIKF、現在のFIK)が設立されるのは6年後の1970年(昭和45)である。当初の加盟国は17の国と地域であった。現在オリンピック種目になるには4大陸75カ国以上で行われている競技であることが条件である。目指していたとしてもまだ遠い将来の夢だった。

 1976年(昭和51)、全日本剣道連盟初代会長の木村篤太郎は、モントリオールオリンピックを見た感想を述べる中で、次のように書いている。

「やがては剣道もオリンピック種目に加えられるだろう。そのときのこともいまから考えておく必要があろう」(『卆翁百話』)

 将来はオリンピック種目になるのが当然、というニュアンスである。

 潮目が変わったのは1980年代であろう。「剣道日本」1984年2月号の特集「剣道は武道かスポーツか」の中で、警視庁剣道名誉師範の森島健男範士八段(当時)と国際剣道連盟事務総長の笠原利章教士八段が対談し、オリンピックに触れている。やや長くなるが引用する。

森島 剣道がオリンピックにでも入った場合は、規則が外国人向きに作られてしまうという懸念があるでしょう。これはたぶんあります。柔道がそうでしょう。そうなると、大変な問題が起きてくると思うんですよね。だから、早くオリンピックに入れろと言う人達がいるけれども、反対に、入れたら日本の剣道が駄目になるから入れるなという考え方がある。
ある人に聞いたら、国際委員会でもヨーロッパあたりはオリンピックに入ることに反対らしいですが、そうですか。
笠原 そうです。
森島 それを聞いて安心しました。“国際化”というのは、日本の剣道を外国人向きに作り替えることではないと思うんです。日本の剣道の本来の姿をもっと立派なものにして、外国人に魅力あるものにすることが先決でしょう。(後略)
笠原 ……そうですね。私はオリンピックそのものを毛ぎらいするんではないので、オリンピック運動にはなかなか立派なものもあるんです。(中略)第一、合理的なルールがなければオリンピック種目になりません。ところが、「有効打突」というのはかなり審判員の主観によって判定されるし、それがまたある面ではいいところなんです。ましてや「残心」なんていう問題が入ってくると、かなり精神性の深い、ほかのスポーツのルールと雰囲気の違ったものになってくるんですね。そうすると、彼らは勝てない、あるいは理解しにくい。そういう点から、ルールを直して、残心なんか必要ないじゃないか、構えなんか別に問題ないじゃないかという空気がだんだん強くなってきて、最後には戦後のフェンシングのようにランプが光ればポイントになるとか、そういうものになっていくことを、私は恐れるのです。

 対談の中ではオリンピックに入れようと主張する人達もいると指摘しているが、警視庁名誉師範である森島範士だけでなく、国際剣道連盟事務総長として海外の剣道にも通じている笠原教士も、オリンピック種目にすることにはどちらかというと反対の立場だ。この対談がきっかけというわけでもないだろうが、以後、このような論調が主流となっていく。

 柔道は1964年の東京オリンピックで初めて採用され、1972年のミュンヘンオリンピックから継続的に行われている。東京オリンピックでは講道館の試合規定がそのまま採用されていたが、その3年後に国際規定が生まれ、講道館規定と最も大きく異なる点として1973年に「効果」が採用されている。当初、日本の柔道関係者は、国際組織を作りオリンピック種目になることで日本の意向にはそぐわないルールが生まれることは想像できなかったのかも知れない。

 剣道はそんな柔道の変化を見て、オリンピック種目にすることで本来の剣道の姿が変えられてしまう可能性があることに気づいた。それがオリンピックを目指さない方向に傾いていった大きな理由なのだろう。「柔道のようになってはいけない」「柔道の二の舞いになってはいけない」という意見が剣道関係者からはよく聞かれた。

 1993年に全国教育系大学剣道連盟が、剣道未経験者も含む高校生・大学生1万1千名を対象に、剣道についての大規模な意識調査を行った。その中に「剣道をオリンピック種目にするように働きかけていくべきである」という設問があったが、「そう思う」「あえていえばそう思う」が合わせて32.5%、「そう思わない」「あえていえばそう思わない」が合わせて29.5%と拮抗していた。この時点ですでに、若い世代にもオリンピックを目指すべきではないという考え方が浸透し始めていたことが見て取れる。

 2002年、「剣道日本」では4月号から6月号に渡って、「剣道は“世界のスポーツ”となるべきか」という特集記事を掲載した。オリンピック種目化への賛成論、反対論が展開される中で、この時点で30年以上フランスに在住しフランス剣道連盟に関わってきた好村兼一氏、ハンガリー剣道の発展に尽くしてきた阿部哲史氏が揃って、剣道のオリンピック種目化に断固として反対する意見を述べている。「剣道の文化性が壊される」「オリンピック精神とは相容れない」「海外の剣士も多くはオリンピック種目化を望んでいない」など、説得力のある主張を展開していた。

 賛成派としては熊本県議会議員の荒木章博氏、カナダチームの主将で日系人の有賀太郎氏らが、主に剣道をもっと多くの人に知ってもらうために必要という理由で意見を述べている。

 また、その記事の中で、英語の剣道誌『KENDO WORLD』が読者、つまり世界各国の剣道愛好者264人を対象に行ったアンケートが紹介されているが、「剣道はオリンピック種目に入るべきである」という設問に、「そう思う」「あえていえばそう思う」と答えた人が37%、「そう思わない」「あまりそうは思わない」と答えた人は48%だった。

「剣道がオリンピック種目になれば、剣道の精神的要素が損なわれる可能性がある」という設問には「そう思う」「あえていえばそう思う」が61%、「そう思わない」「あまりそう思わない」は28%だった。海外でも、オリンピック競技にしたら剣道が変質してしまうという考える剣士が多くなっている。

 さらに記事の中には、全剣連国際委員長の竹内淳氏、国際室室長の黒瀬有申氏、幹事の植原吉朗氏のインタビューが掲載され、口々にオリンピックを目指さない姿勢を表明している。その中で、竹内氏のこんな発言があった。

「大島功元会長は、『オリンピックに入ることになったならば日本は国際剣道連盟から脱退すべきだ』と言った(と言われている)」

 大島功氏が全剣連会長を務めたのは、1985年(昭和60)から1993年(平成3)である。その頃から全剣連中枢部ではほぼ方針が固まっていたということだろう。
竹内氏が2003年発行の『全日本剣道連盟五十年史』に、次のように書いている。

「オリンピックに加盟していない運動競技は国からの補助金がない、或いは少ないという財政上の問題からオリンピック加盟を主張すると(こ)ろもないわけではない。確かに、剣道の発展に財政上の問題は重要な要素ではあるが、一度、競技の中に列を同じくすれば、やはり必然的に勝負本位の競技の道をまっしぐらに駆け下りることになり、それをその中で戻ることは困難である。全剣連としては、安易な妥協をせず、人の道を追及する武道としての剣道の発展を目指すことが必要である」

 これはオリンピックを目指さないという公式の表明と言っていいが、その10年以上前から固まっていた姿勢を改めて確認したと受け取るべきだろう。

 1997年(平成9)から2013年(平成25)まで全剣連会長を務めたのが武安義光氏だ。『武徳薫千載―剣道と科学技術に尽くした百年―〈武安義光追想集〉』(左文右武堂)には、武安会長も剣道のオリンピック種目化を目指さない方針を貫いていたことが記されている。

 以上のようにオリンピックを目指すか否かについてさまざまな意見があったが、全剣連としてはそれを目指さない姿勢をほぼ固めたと言えるだろう。

 しかし大前提として、当時も、そして現時点においてもそれは「将来的に」という仮定の話でしかない。

 オリンピック種目になるには、1996年のオリンピック憲章では男子は3大陸50か国で、女子3大陸35か国以上でおこなわれている必要があった。現在は男子は4大陸75カ国以上、女子では3大陸40カ国以上とさらにハードルが上がっている。1996年の時点で国際剣道連盟加盟国(地域)は50以下だったし、現在は65カ国(地域)程度のようだ(国際剣道連盟HPによる)。女子はクリアしているかも知れないが、少なくとも男子はまだ条件を満たしていない。

 過去にFIKでオリンピック種目化への議論があったかどうかは知らないが、ようやくその条件に近づいて来たところだ。

 条件をクリアできる見通しが立てば、おそらくは韓国あたりから提案があるかもしれない。オリンピックを目指さないなら、その理論武装はしておく必要があろう。

 ちなみに、剣道は今でも日本オリンピック委員会(JOC)の正加盟団体である(なぎなたや銃剣道も含めJOCにはオリンピック種目ではない競技が多く加盟している)。将来的にオリンピック種目化の道を完全に閉ざしているわけではない、と私は理解している。

オリンピックに代わる世界への普及策

 オリンピック種目化については私自身も時代とともに考えが変わってきた。

 私が1985年(昭和60)に剣道日本編集部に入ってからしばらくは、単純に柔道が羨ましかった。山下泰裕選手の名前は日本人のほとんどが知っていたと思う。平成の三四郎こと古賀稔彦選手や、ヤワラちゃんこと田村亮子選手など次々とスターが現れた。それはオリンピックがあったからだと言っていいだろう。

 彼らメダリストに憧れて柔道を始める子、あるいは頑張って続けようと思う子や若者はいただろう。だから剣道も将来はオリンピック種目になるべきだと思っていた。オリンピック種目になれば有効打突の判定基準ももっと明確なものになり、国際審判員制度も整備されるといったメリットもあるのではないかと思った。

 しかし徐々に、オリンピック種目になろうがなるまいが同じなのではないかという思いが生まれてきた。

 剣道には世界選手権がある。今回(2024年・第19回)は少し違ったが、前回の第18回大会までは、世界選手権における日本選手の剣道は勝負にこだわったもので、内容的に模範になるようなものではないという批判があった。私は、第10回~12回大会あたりでは、なりふり構わず勝利を求めて勝ちきった日本の剣士の戦いぶりに感動を覚えたが、それが模範になる剣道だったとは思わない。

 剣道は試合の勝ち負けを目指すものではないという理由で第11回の世界選手権大会からは、入賞チームの国旗掲揚をなくした。でも、実際にそこで繰り広げられている試合は、勝ち負けを目指しているものにしか見えなかった。それはオリンピックと何が違うの?という思いがあった。

 また、前に引用した対談の中で、森島範士は国内での剣道の技術が変わってきてしまったことを終始嘆いている。

「今年の全日本選手権大会を見ていて、日本の剣道も変わった、フェンシングに近くなったのではないかなと思った。守りに徹するようになってしまったわけですね。もうちょっと身を捨てていくところがなければ、剣道の将来が非常に憂慮される。堕落したなと考えざるをえません」

 などと述べている。そういう剣道を是正するためにまさにこの1984年から、全日本剣道選手権大会に六段以上という出場資格制限が設けられた(10年も経たないうちに撤廃される)。

 体を使って行い、勝ち負けを決める競技である以上、オリンピック種目にしようがしまいが、技術は変質するのだと思う。コロナ以降のルールで全日本選手権などに見られる技術は良くなったという評価があるようだが、今も若い世代の技術についての批判はある。森島範士の言う「守りに徹する」剣道はさらに顕著になっているのではないか。もし剣道がオリンピック種目になっていたら、剣道はKENDOになってしまったと批判されていただろう。

 その一方で、オリンピックで注目されることが人口増加につながるとは限らないことも、だんだん分かってきた。

 卓球のように人口が増えている種目はオリンピックの影響もあると思うが、パリでも多くのメダルを取ったフェンシングの関係者は、国内の試合の注目度が低いことを嘆いていた。もちろん競技人口も剣道よりずっと少ないだろう。やはり多くのメダルを獲得したレスリングも競技人口は少ない。

 柔道もフェンシングもレスリングも、オリンピック種目でなかったらもっと人口が少なかったとは思う。一方、剣道は人口が減少しているとはいえ、絶対数としてはオリンピック種目にならなくてもそれらの種目より多くの人口を獲得している。

 1988年のソウルオリンピックからテニスが、2016年のリオデジャネイロオリンピックからゴルフがオリンピックに復帰した。どちらも長い間オリンピック種目からはずれていた。だがその時点で世界中で人気の競技人口がかなり多い種目だった。とくにゴルフは剣道と同じように生涯続けられるスポーツであり、愛好者の人口は現在も増え続けているそうだ。

 テニス、ゴルフともに全英、全米など四大大会があり、トップ選手たちにとってはオリンピックよりはそれらの大会が上位の目標になっている。それを見て私は、そんなやり方の方がいいのではないか、と思うようになった。

 あるいは、大相撲は日本だけが舞台であり、日本出身の横綱がいなくても、行司の服装、塩をまくこと、弓取り式など、さまざまな形式が守られている。白鵬関のように、戦い方や態度が日本人が考える横綱らしくないと批判されることもある。近年はモンゴル人だけが多く世界に普及しているとは言えないにしても、そのように日本独特の形式ややり方を守りながら発展していく道もある。

 その具体的な方策については詳しくは『剣道の未来』に詳しく書いたし、また稿を改めて書きたい。

柔道は世界の共有財産、剣道は?

 パリオリンピックの柔道に話を戻す。団体戦決勝で日本はフランスに逆転負けを喫した。阿部一二三選手を破ったガバ選手の技について、SNSでは「タックルではないか」「あんな技は柔道ではない」という意見が多く見られた。

 だが、バルセロナ五輪銀メダリストの溝口紀子さんはテレビ番組で、あの技は「肩車」(あるいはその変型)であり、トレンドの技であると解説していた。

 そしてSNS上では柔道経験者から、「よくあの技を考えたと思う」「あんな技はインターハイでもたまに見る。日本が無防備」「(足を抱えて持ち上げる)肩車がルール変更で出来なくなり、その後バリエーションが増えてきた。その流れを知らない人たちが4年ぶりに柔道を見るとこんな(柔道の技ではないという)感想が出る」「以前の柔道の方が足を取りに行ってもいい技もあり、今よりもレスリングに近かった」といった指摘があった。

 それが柔道をしている人や、普段から見ている人たちが知る現実なのだろうと思う。ある柔道の解説者が「4年に一度しか柔道を見ない人には分からないが、東京オリンピックの後でもルールは変わっている」と指摘していた。つまり、オリンピックのときぐらいしか柔道を見ない人たちが(かく言う私もその類であるが)、日本が前回よりも成績を落とし団体戦でも負けた悔しさもあって、SNSで「これは柔道ではなくてJUDOだ」と言っているだけなのだと思う。

 そういう伝統的な柔道が見たければ、国内では講道館ルールの試合もあるので、足を運んでみればいい。七帝柔道もあれば、古武術としての柔術もある。そこではもっと武道らしい姿が見られるのではないか。

 「効果」があった時代は、外国人が一本ではなく「効果」を狙ってポイントを稼ぐことが柔道本来の姿ではない、と指摘されていたように記憶している。今回、相手への「指導」を狙ってポイントを稼ぐ外国人選手が批判されるのと同じ構図だ。「今の柔道は本来の柔道ではない」と言う人たちのイメージする柔道が、いつ、どこにあったのだろうか。「効果」が採用された1973年より前の柔道を知っているのだろうか。ただのイメージで言っているか、学校の柔道授業で教わった基本とあまりに違って高度なので違和感を持つのだと思う。

 サッカーの発祥国であるイギリスには、今の世界のサッカーが伝統的な本来のサッカーとは違うと主張する人たちがいるだろうか(イギリスには伝統的なキックアンドラッシュという戦法があった)。たぶんいないと言える。なぜならイングランドサッカーのプレミアリーグ(トップのリーグ)20チーム中、監督の国籍は11カ国に及び、イギリス人は4人だけである(2022~23シーズン)。それだけ他国のやり方を受け入れて高めようとしている。

 日本の柔道もすでにイギリスのサッカーと同じ状況に置かれている。国際連盟の加盟国(地域)数が最も多い競技はバスケットボールで213カ国(地域)、次がサッカーの211カ国(地域)。柔道はそれらに迫る204カ国(地域)である。すでに世界の共有財産になっているのだ。

 ネット上を探してみたら、2009年のインタビューで上村春樹氏(当時講道館長・全日本柔道連盟会長)がこんなことを話していた。

「漢字の柔道と横文字のJUDOは違うというような表現をされることがありますが、私は一緒だと考えています」
「この前、ヨーロッパで議論した中で、『上村、柔道はもう日本だけの文化ではない』と言われました。そのときに私は『そうだ。柔道は日本だけのものではない。世界に根づいた柔道という文化なんだ』と答えました。よって今後も柔道を正しい方向に向かわせるように、私たちは協力して作っていかなくてはならないと思うのです」(「ホームメイト柔道チャンネル」より)

 国際連盟を作り、さらにオリンピック種目にするということは、そういうことなのだ。上村氏の言う通りに努力していく以外の道はないと思う。

 確かに「指導」の基準が一定しなかった点など、ルールや審判法に改良の余地は大いにある。日本の意見がどこまで通るのかは分からないが、世界各国と力を合わせて、より面白い、見る者も選手自身も納得できるルール作りに邁進してほしい。柔道は、日本で生まれた種目を世界の共有財産にするという壮大なプランにチャレンジしている種目だと私は思っている。それはおそらく嘉納治五郎が目指した柔道の姿と大きく違ってはいない。

 世界の共有財産となった柔道、あくまでも日本文化としての形を変えずに普及させようとしている剣道。両者の選んだ道はまるで違うのだが、両者ともに日本国内では深刻な人口減少に直面している。100年後にどちらがどんなふうに生き残っているのか、見届けることはできないが、とても興味深い。

(2024年8月23日記)

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