国体(国スポ)廃止論に大賛成! 地元びいきの判定はいつから? 

観の目見の目

 国体(2024年より国スポ=国民スポーツ大会)継続の是非について、2024年4月8日に宮城県の村井嘉浩知事が「廃止も一つの考え方」と発言したのがきっかけで、何人もの県知事の方が次々に意見を表明している。「廃止は極論だが3巡目も同じ形ではできない」という意見が大勢を占めているようだ。ニュースサイトのコメント欄を見ても、不要という意見や、いくつかの県で共同開催にすべき、という意見が優勢だ。

 以前、国体(国スポ)について書いた記事が、本サイトでは現時点で一番読まれている。剣道関係者の国体への関心が高いのではなく、国体の剣道競技のあり方に疑問を持つ方が多いのだろうと理解している。国体の剣道における地元びいきの判定を指摘した記事は他にほとんどないと思う。

 さて今回の一連の報道で知ったことが二つある。一つは、剣道に限らず国体(国スポ)そのものが不要と考える人が、実はかなり多いということだ。

 2016年に国体開催地となった岩手県の達増拓也知事は、「一時は返上しようかという議論があったが、東日本大震災からの復興を観てもらうという意味もあり開催した」という。2033年の開催が予定されている島根県の丸山達也知事は「今回の国スポは、血の小便を出して、何とかやれるぐらい」と述べている。 これ以外にも何県かの知事が、少なくとも3巡目も現状のまま存続するのは無理という意見を述べている。

 存続に前向きなのは「お金がかかるからということだけで中止になることはあってはならない」と言っている栃木県の福田富一知事ぐらいである。今まで続けてきたからやらなければならないと言っているだけで、続ける根拠としては弱い。まあそれが日本の政治であり、地方自治と言えばそれまでだが。

 今後全国知事会としての意見を集約して提出するそうだが、おそらく否定的な意見になるだろう。ぜひそうなって欲しい。

 もう一つ知ったのは、国体開催費用の大部分を地元の都道府県が負担していること。少なくとも半分以上は国(日本スポーツ協会)が負担しているものと何となく思っていたのだが、報告されている岩手県の例では県が100億円、国の助成が1~2割程度だという。島根県は必要経費を265億円と試算し、国からの補助は5億程度だと言っている。

 島根県の丸山知事は「日本スポーツ協会は、王侯貴族のように自分たちで勝手に決めて、都道府県にやらせる。その不遜な考え方が本当におかしいと思う」と強い調子で述べている。東京オリンピック開催をめぐってIOC会長が「ぼったくり男爵」と揶揄されたのと、まったく同じ構図である。東京オリンピック後の世論は、日本は今後オリンピックを誘致すべきではないという方向に傾いていると思うが、国体も当然そうなるだろう。

 ある高校バレーボールの強豪チームの監督が、「郷土の誇りをかけて戦う、バレーボール界にとっては、(国スポは)本当に大事な大会。県がやれなければ国が面倒を見るべき」と表明していたが、各競技の指導者の中に、この意見に賛同する人がどれくらいいるのだろうか。いや、指導者として取り組んでいる人たちは続けてほしいと思っているかもしれないが、ごく一般のスポーツファンの大多数はそうではないと思う。なぜなら国体にはほとんど注目していないからだ。

 高校野球を例に取れば、春と夏の甲子園大会には注目しても、国体にはほとんど注目していない。成年の試合ならなおさらだろう。サッカー、卓球、陸上、水泳……どの種目をとっても、第一に注目されるのはワールドカップ、世界選手権といった国際試合であるし、プロがある種目なら国内のリーグである。

 そして大人の野球では、東京オリンピック優勝よりもWBC優勝の方が、格段に注目度が高かった。他の種目でも総合的なスポーツ大会よりも種目別の大会の方が注目度が高くなっている。今後さらにその傾向は強まりそうだ。

 日本スポーツ協会も検討部会を立ち上げるという発表があった(4月17日)。スポーツ協会はなんとかして存続させようとするだろうけれど……。

 10年後、2034年の沖縄国スポで2巡目が終了する。3巡目が現在と同じ形で続いていく可能性は低いだろう。地方に行くほど人口減少に拍車がかかっている状況の中で無理に続けても、予算がなくて返上する県が出てきそうだ。都道府県民税を払っている市民の感覚からいっても、国スポよりも税金を使うべき大切なことが、山のようにあるだろう。

 それも都道府県からの予算が選手の強化だけに使われるのならまだいいが、事前に審判員の候補となるような人々を講習会に招き、相当な額が接待に使われるという話を複数の方から聞いている。「国体なんてお祭りなんだから、地元優勝でいい」と言う意見も耳にしたことがあるが、ほとんど体育関係者だけのお祭りに、一般市民の税金が使われているということだ。これから人口が減って税収も減っていく(足りなくなれば増税になる)という時代に、それが許されるだろうか。

また、開催地の人的な負担も相当なものだと聞く。教員の働きすぎが話題になり、部活動の負担の大きさが指摘されている中で、国体があったらさらに大きな負担になる。

 オリンピックなら現時点ではまだスポンサーがつくが、国スポのスポンサーになってもメリットはとても小さいと思われる。開催地にとっては多くの選手や関係者が訪れることでの経済的効果ももちろんあるだろうが、今の時代、海外からのインバウンドを増やす方がそれはずっと大きくなるのではないだろうか。

1巡目の最後、1987年の沖縄国体

 さて、2巡目の最後が沖縄国体ということで思い出されるのは、1巡目の最後だった1987年の沖縄国体である。当時所属していた剣道日本の記者として取材した私は、あからさまな地元びいきの判定が公衆の面前で行われていることに、カルチャーショックを受けた。それで剣道日本1987年11月号にかなり強い調子の批判記事を書いた。

 今もその思いは変わらないので、ここに再録しておくことにする。

ノーモア“地元ジャッジ”

 沖縄の少年男子チームは確かによく鍛えられており、前へ前へと出て戦った。この優勝には拍手を送りたいが、(註・決勝で敗れた)京都側の立場で見れば、53秒、39秒、1分32秒と、あれよあれよと思うまに相手の旗が2回上がってしまい、全く剣道をさせてもらえなかったというところだ。だが、決して両者にこれほどの実力差は感じられず、審判の判定に疑問が残る試合だった。

 今に始まったことではないが、国体では審判の判定が地元チームに対し、どうしても甘くなるようだ。それによって地元チームは勢いに乗る。沖縄の大城武則監督が試合後、

「(前衛陣の)三連勝など予想もしなかった。苦しい試合になると思っていた」

 と語ったように、今回の決勝も決してスコアほどの実力差はなかった。

 勝敗決した後の2試合は京都がとったが、副将戦(京都の山下が一本勝ち)の終了時に主審が誤って「引き分け」と宣告、誤りに気づいて今度は沖縄側に旗を上げ「一本勝ち」を宣告し再び訂正するというダブルミスを犯したり、試合中何度か、沖縄の有効には遠い技に端を上げ、あわてて下ろすという光景が見られたりした。このような舞台では、審判も緊張しミスを犯すのは仕方がないが、心ある観客には「沖縄に旗を上げる準備をいつもしている」と勘ぐられても仕方のないミスであった。

 会場を埋めた観客はほとんどが地元の応援団で、優勝の喜びに大いに沸いたがその中にポツポツと陣取った他地域の観客からは、最初は「ちょっとひどいね」というささやきがもれ、次にはたまらず「審判、何やってんだ!」とヤジが飛び、最後はただ苦笑するのみだった。

 優勝した沖縄の選手たちのさわやかな表情、そして勝敗決した後ながら堂々と戦って勝った京都の副将、対照の姿に救われた思いはあったが、国体のあり方や“地元ジャッジ”という問題のウミが一気に表われた試合で、後味の悪さが残った地元優勝だった。

記者の目

 昭和21年に始まった国体は、とくに地方でのスポーツの普及に大きな役割を果たしてきた。しかし、今回で全国を一巡したこともあり、選手派遣や施設造営にかかる莫大な費用、開催地が有力選手を“引っ張る”ことなどに批判が再燃し、国体不要論が唱えられたりもした。

 また、少年、成年とも、地元以外の選手は、時期的なこともあって、この一戦に賭けるという闘志が希薄で、競技としての面白さはインターハイなどに比べて低いといわざるを得ない。

 今回、岩手県は少年チームの派遣をとりやめた。これは県の体育協会の方針で好成績が望めないからという判断によるもの。そのかげには予算の問題ももちろんあるだろう。残念なことではあるが、国体の現状を考えると、これも一つの見識かもしれない。

 また、とくに剣道の場合、今回も見られたような“地元ジャッジ”が起こりやすい。「地元に花を持たせよう」というムードが、一部の審判や選手の心の奥底にないとはいえない。

 現状では国体はもはや勝負ではなくお祭りである。剣道関係者にはその状況を改善しようとする意欲はあまり感じられない。だが、見学していた高校生でさえ、

「今の技は沖縄が出したのだったら旗が上がっただろうね」

 などとひそひそ声で話し、“地元ジャッジ”を暗黙の了解と受け取っている状況は“病んでいる”としか思えない。真剣勝負をしようと臨んだ青少年達に与える影響を考えてほしいものだ。

 少年男子決勝で敗れた京都の選手が、おそらく審判への不満もあったのだろう、口惜し涙にくれる姿が、我々の胸に痛みとうしろめたさを残した。

 

 以上、結果を伝える記事の中にわざわざ2つもコラムを設けて書いた。

 主に少年の部について書いているが、この年のインターハイでは鍋山隆弘選手を擁するPL学園高校(大阪)が圧倒的な強さを誇り、男子団体、個人(鍋山)、女子団体の3部門制覇、その直前の玉竜旗大会ではライバル高千穂高校(宮崎)の大将河野雄一選手が、決勝でPL学園に対し大将鍋山選手まで3人を抜いて逆転優勝、という名勝負を展開していた。

 沖縄代表の高校はインターハイでは予選リーグ敗退で終わっており、トップレベルとは明らかに力の差があると私は思っていた。それなのに目を疑うような結果となった。

 当時私は剣道日本編集部に入ってまだ3年目であり、剣道の一本を見きわめる自分の目に確固たる自信があったわけではなかったが、幸いこの試合はテレビで全国放映されたので、編集部の先輩方に見てもらった上でこの文章を書いたのを覚えている。

 ちなみに成年の部は、決勝で沖縄の先鋒、次鋒が勝ったあと、対する鹿児島の中堅、副将が勝って、大将戦の末沖縄の勝利という展開もあって、あまり地元びいきの判定とは感じなかった。

地元優勝が常態化したのは比較的最近のこと

 1946年(昭和21)に始まった国体が、ある時期まで剣道を含む日本のスポーツの発展に大いに寄与してきたことは間違いない。少しその歴史をたどってみる。

 剣道は昭和30年の第10回国体から正式種目となった。その年は一般の部と撓競技の部の2部門だったが、翌年の第11回大会から高等学校の部が始まり、しばらくの間は一般の部と高等学校の部の二部門が行われた。高等学校の部は昭和50年までは県選抜チームではなく単独校が参加している。

 初めて参加した第10回大会から昭和47年の第27回大会までに限ってみると、地元チームが優勝したのは、一般の部で17回中3回、高等学校の部も16回中3回だけである。この頃までは普通に他の大会でも強いチームが優勝を争っていた。

 昭和48年の第28回大会で、開催地千葉県が初めて一般と高等学校の両部門制覇を果たしている。しかしすぐにそれが常態化するわけではなく、1巡目が終わるまでに2部門制覇を果たしたのは、千葉の後昭和54年の宮崎、昭和61年の山梨、そして62年の沖縄と、わずか4県だけだった。

 逆に11回大会から1巡目が終わる42回大会までの32回の大会で、開催県が両部門とも優勝を逃した例が、過半数の18回もあった(なお昭和37年から50年までは教員の部が設けられたが、その結果については触れない)。

 二巡目となって2回目、平成2年の福岡国体から剣道は4部門となる。当初は成年男子、少年男子、少年女子に加え成年男子二部があった。平成9年の第52回大会から成年男子二部に代わって成年女子が入り、現在の4部門となった。

 初めて4部門を制したのは平成17年の岡山である。この平成17年を境として、その前と後で明らかな違いがある。

 平成2年から平成16年までの15回の大会では、徳島県の1部門を除き、開催県が必ず2部門か3部門で優勝しているが、4部門制覇はなかった。

 ところが平成17年以降令和5年までの17回のうち、半数以上の8回、開催県が4部門優勝を果たしている。とくに最近の5回のうちでは4回がそうなっている。つまり、近年になるほど地元優勝の割合が増えてきているのだ。

 近年のこの結果は、もちろんすべてが審判の地元びいきの判定によってもたらされたとは言えないかもしれない。では違うとしたらどうしてだろう? 昔よりも開催県の強化費が多く使えるようになったのだろうか。前述したようにそれはそれで問題である。

 2016年岩手国体、2017年愛媛国体、2019年茨城国体が私が現場で取材した最も最近の国体である。程度の差はある、というか比較的まともな判定だと感じる試合もなかったわけではないが、大部分の試合に感じたのは、程度の差はあれ1987年に沖縄で感じたのと同じことだ。2022年以降の国体もYouTubeに映像がいくつかあがっているが、その映像を見てコメント欄を見る限り、さほど変わっていないようだ。

 剣道は勝敗を争うことが目的ではないのでオリンピック参加を目指さない、というのは一つの見識であると思う。ところが地元開催の国体になると、ありとあらゆる手段を講じて勝利を目指す。明らかに矛盾している。もちろん他の多くの大会にも同じことが言えるのだが、「勝たなければならない」意識が最も高くなるのが地元国体(と世界剣道選手権大会)ではないだろうか。

 ここまで見てきた感想としては、国体の剣道は昔はちゃんとした大会だったのに、年を重ねるにつれ公正な競技からどんどん乖離してきた、と思う。

 近年、各スポーツはビデオ判定などを取り入れ、より正確に公正な判定が下せるように努力している。剣道はその流れに逆行しているのではないか? 国民スポーツ大会となった今、剣道は武道であってスポーツではないと言うなら誇りを持って参加をやめるべきだし、逆に公正なスポーツとは言えない剣道がそこに参加する資格があるのか?とさえ思う。

 時代は変わった。今、国体(国スポ)は、日本の悪いところを集約したようなイベントになりつつあり、その中で剣道は、剣道の悪いところを集約したような競技になりつつある。両方まとめて膿を出すいい機会である。

 知事会の皆さんには頑張っていただき、廃止の方向に進めていただけることを、私は切に願っている。

(2024年4月18日記)

タイトルとURLをコピーしました