kendomirai

昭和の剣道

2万人を超える観客を集めた、昭和31年の第3回全日本東西対抗剣道大会

冒頭の写真を初めて見たときの衝撃は大きかった。昭和31年(1956)4月29日に開催された、第3回全日本東西対抗剣道大会の写真である(第1回全日本薙刀選手権が同時に行われており、写真は薙刀演武の場面。手元には薙刀の写真しかない)。  現在東...
観の目見の目

第19回世界剣道選手権を見て。韓国の変化と大会の今後

韓国は路線変更で強くなるか  2024年7月、6年ぶりに世界剣道選手権大会(第19回)が開催された。結果は皆さんご存知の通り4部門とも日本が王座を守った。私は現地取材ができる立場にはおらず、以下は配信された映像を見た感想である。  最も印象...
出版物

『武徳薫千載―剣道と科学技術に尽くした百年―〈武安義光追想集〉』を刊行しました

『武徳薫千載―剣道と科学技術に尽くした百年―〈武安義光追想集〉』を刊行しました。  1997年(平成9)から2013(平成25)年まで全日本剣道連盟会長を務めた武安義光氏(令和3年逝去)の追想集です。45人の方が寄せた追想文を収録したほか、...
観の目見の目

国体(国スポ)廃止論に大賛成! 地元びいきの判定はいつから? 

国体(2024年より国スポ=国民スポーツ大会)継続の是非について、2024年4月8日に宮城県の村井嘉浩知事が「廃止も一つの考え方」と発言したのがきっかけで、何人もの県知事の方が次々に意見を表明している。「廃止は極論だが3巡目も同じ形ではでき...
昭和の剣道

大分・国東半島の東端に強豪校があった。国東安岐高校、昭和35年のパレード

昭和35年(1660)、インターハイ男子団体で優勝を果たしたのは大分県の国東安岐高校だった。昭和23年(1948)に開校し、当時の正式名称は大分県立国東高等学校安岐分校。「新時代の覇者たち」という連載で、同校について取材したのは平成3年(1...
昭和の剣道

惠土孝吉さん(金沢大学名誉教授)が求めた、色彩豊かな剣道

(本稿は『剣道日本』2023年7月号に掲載された記事に加筆したものです)  令和5年4月21日、金沢大学名誉教授の惠土孝吉さんが逝去された。全日本選手権2位1回、3位3回など選手として輝かしい実績を残し、指導者として中京大学、金沢大学の学生...
出版物

惠土孝吉著『夢剣士自伝』を刊行しました

惠土孝吉著『夢剣士自伝』を刊行しました。 惠土先生を改めて紹介すると、昭和14年名古屋で生まれ、戦後のしない競技の時代に剣道を始め、中京商業高校時代にインターハイ団体戦で優勝。中京大学の4年間では4年とも全日本学生選手権大会(個人戦)の決勝...
出版物

単行本『居合道上達講座』(大下政一著)を刊行しました

左文右武堂出版物の第3弾として『居合道上達講座』を刊行しました。  居合道全国選抜八段戦箱根大会優勝の経歴と、国内外での豊富な指導実績を持つ大下政一教士八段の著書です。『居合道虎の巻』の取材で大下教士と出会い、とくに全剣連居合について、説明...
観の目見の目

令和4年度も高校剣道人口は大きく減った。弓道との比較で考える

令和4年度の高体連登録人数が高体連HP上で発表されている。全国の高校剣道部員総数は3万2861人だった。  単行本『剣道の未来』では、はじめて4万人を割った令和元年の3万8435人という数字まで紹介した。その後令和2年度3万4960人、令和...
美しき道場

見たことはないが懐かしい我がふるさとのような道場、水戸武徳殿

実際には見たことがないが、なぜか目をつぶると思い浮かぶ古い道場がある。茨城県水戸市にあった水戸武徳殿である。正式には大日本武徳会茨城支部武徳殿、だろうか。昭和4年に落成し、昭和20年の水戸空襲で灰燼に帰した。わずか16年しか存在しなかった建...