温泉旅館として生きながらえ、登録有形文化財となった福島武徳殿

美しき道場
温泉旅館「武徳殿仙峡閣」として現存している福島武徳殿

 道場についてのこのカテゴリーの記事は、剣道をする人でも多くは興味を持たないと自覚している。だが、他の記事にも繰り返し書いているように、私は30年余りの「剣道日本」編集部在職中、古い道場の魅力に取り憑かれてしまった。調べずにはいられないし、書かずにはいられない。

 取り憑かれた理由は、一つは多くが和風建築であること。外観も内部の空間も体育館とは明らかに違って、そこで行われる剣道はとても「剣道らしく」見える。そして、実際にもう使われなくなっていても、かつてのもっと輝いていた剣道、一般の人々にも愛されていた剣道、もっと言えば日本の中心にあった剣道の姿が見えるような気がするのだ。

 というわけで、かつて道場(武徳殿)として建てられた建築物の、転用された後の運命にまで興味を持って追いかけることになった。

 かつての福島武徳殿が旅館に転用されて残っていることは、取材で会津武徳殿を訪れたとき、溝口派一刀流剣術の代表を務める長沼悟銓さんに聞いて知った。場所は会津若松市郊外の芦ノ牧温泉だという。「橋の上から温泉街を見ればすぐ分かるよ」と言われて車を走らせた。平成14年(2002)のことである。

 芦ノ牧温泉は会津若松駅から車で30分ほど、阿賀川沿いに10軒弱の宿が建っている。国道118号線の橋から阿賀川を見下ろせば、確かにその堂々とした姿がすぐ目に入った。「武徳殿仙峡閣」という旅館である。

阿賀川沿いの斜面に堂々たる姿を見せている

 突然の訪問だったが経営者の方が応対してくれた。この建物が武徳殿であったことを誇りに思っていることが伝わってくる話しぶりだった。戦後の昭和32年に県の福祉協議会が管理していた元の福島武徳殿を払い下げてもらい、旅館営業を始めたそうだ。往時をなつかしんで訪れる武道関係者もいるとのことだった。

「むろん、旅館仕様に改装されてはいる。百畳の広さを誇ったという道場は中央に廊下ロビーをもうけ、左右を大広間とした。ロビーから見る峡谷の景観がいい。二階、客室は武徳殿のころ選手控え室として使用された複数の小部屋である」

 とライターとして同行していた石神卓馬氏が書いている(「剣道日本」2003年2月号「剣道歴史紀行」)。

 最近になって「福島の江川式建築を探る」(齋藤隆夫)という記事をWEBで見つけた(福島県は福島民友と福島民報の2つの主要な地方紙があり、そのどちらかの記事と思われるが、単独でアップされていて掲載日も含め不明)。その記事によれば、福島県社会福祉協議会が昭和26年に武徳殿を社会福祉会館として使用する目的で購入したという。しかしその後、同協議会副会長だった林平蔵という人物が購買し、昭和32年6月に保養所として芦ノ牧温泉に移築したのが現在の仙峡閣であるそうだ。宿泊施設としての開業年は経営者の方の話と合致するが、最初は福祉協議会の保養所だったのかも知れない。

武徳殿仙峡閣の玄関

大広間には太い柱がそのまま残っている

 大日本武徳会福島支部武徳殿として竣工したのは昭和13年(1938)のことで、福島市内の上浜町にあった。福島武徳殿としては二代目のもので、最初の武徳殿は明治36年(1903)年に信夫山公園に建築されている。信夫山は福島市の中心市街地北部にある標高275mの山で、春には大勢の花見客で賑わう福島市のシンボル的な存在である。しかし建築からわずか7年後の明治43年(1910)には県庁東側、板倉神社脇の紅葉山公園に移されている。交通の便がいい場所に、ということだろうか。

 なお、同記事のタイトルにある「江川式」とは、福島県と岡山県で多くの建築物を残した名建築家・江川三郎八のことだが、江川は明治35年に福島から岡山に移り、二代目武徳殿については竣工した翌年に没しており関係がない。しかし初代の武徳殿は江川の設計によるものだという。

 最初の武徳殿が建ってから35年後に二代目の武徳殿が建てられたのは、老朽化ではなく武道人口が増えて狭くなったためと思われる。なぜなら初代の武徳殿は昭和16年(1941)に再び信夫山公園に移され、「東郷山修養道場乃木庵」として転用されている。こちらは終戦後に引揚者などの住宅として供用された後に解体された。

信夫山公園に建てられた最初の福島武徳殿

 二代目武徳殿が道場として使われたのは終戦の年までとしてもわずか8年に過ぎない。戦後は剣道復活より早く社会福祉協議会が購入しているので、おそらく道場としては使われていないだろう。明治期に建てた武徳殿を、昭和初期、遅くとも昭和10年までに建て替えたという例は他にも多く、それが戦災で焼失するなどしてごく短い期間しか道場として使われなかった武徳殿はいくつもある。戦後も残って、他の目的であっても利用されている福島武徳殿は、まだ幸せな運命をたどったと言えるのではないだろうか。

 平成27年(2015)に、東京から仙台近辺の取材に車で行く機会があり、出発時間を早めて芦ノ牧温泉に足を運んだ。別な形で記事にするためでもあったが、その時点でも仙峡閣が確かに存在することを自分の目で確かめたかった。内部以外の写真はそのとき撮影したものである。

 令和元年(2019)12月5日付で、仙峡閣は登録有形文化財となった。とても喜ばしい。文化庁が経営するポータルサイト「文化遺産オンライン」は「入母屋造の大屋根に千鳥破風を飾り、正面に構える雄大な車寄に社寺建築の細部意匠を採用し、武徳殿の定型をよく示す。大胆な転用の経緯と勇壮な外観をもつ旅館建築」と紹介している。

2025年5月26日記

タイトルとURLをコピーしました