『武徳薫千載―剣道と科学技術に尽くした百年―〈武安義光追想集〉』を刊行しました

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『武徳薫千載―剣道と科学技術に尽くした百年―〈武安義光追想集〉』を刊行しました。

 1997年(平成9)から2013(平成25)年まで全日本剣道連盟会長を務めた武安義光氏(令和3年逝去)の追想集です。45人の方が寄せた追想文を収録したほか、写真集、年譜、武安氏自身が執筆した文章、講演録なども掲載し、あらゆる角度からその人物像を明らかにしています。

 左文右武堂(鈴木智也)の出版物としてはやや異色なものと感じられるかも知れませんが、武安氏が会長を務めた平成の剣道界の歩みのみならず、戦前、戦中、戦後の剣道の歩みをたどるという意義を感じ、編集・販売を担当させていただきました。

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全日本選手権出場資格制限撤廃は「当然のことです」

 もう忘れ去られた話かもしれないが、1984年(昭和59)年から6年間、全日本剣道選手権大会の出場資格は六段以上となっていた。資格制限の理由は、それまでの同大会で見られる剣道が本質を離れて「当てっこ剣道」になっているのを是正するためというものだった。1990年(平成2)に五段以上と緩和されたものの、それが5年間続いた。

 結局1995年(平成7)から段位を問わない大会に戻るのだが、それが決まったとき、当時全日本剣道連盟専務理事であった武安氏が「剣道日本」の記事の中でこんなコメントを残している。

「当然のことであり、もっと早くやっておかなければならなかったことです」

 いつ、どんな場所でこの言葉を聞いたかは覚えていないのだが、専務理事はこんなまともな考え方をしているんだ、と当時感じたことを鮮明に覚えている。

 そもそも全日本選手権は、戦前までの専門家・非専門家の別や、年齢・段位・称号などに制限を設けないオープンな大会として、戦後再出発した剣道の象徴として始まった大会であり、そこに制限を加えるというのは、戦前よりもはるかに多くの愛好者を獲得し、一般社会にも受け入れられるようになった戦後剣道の否定である。全日本剣道連盟を象徴する新しい試みとして始めた大会であるから、全剣連そのものを否定することだったと言ってもいいのではないだろうか。戦前の剣道への回帰を目論んだ、時代性をまったく無視した行為であり、一般社会に広く浸透した剣道を、分かる人だけ分かればいいという狭い世界に閉じ込めることだった(ついでに言えば今もそういう傾向がなくなったわけではなく、それこそが剣道人口減少の最大の要因だと思う)。

 本書に収録した「剣術から剣道へ」(平成25年の第12回剣道文化講演会の講演録)で武安氏はそのことに触れて以下のように述べている。

「昭和59年、全日本選手権大会の出場の資格を六段以上に制限したという出来事が有りました。指導を改善するなど、色々是正の仕方が有ったはずでしたが、選手権大会の最初の理想からすれば、大分おかしな改革ですね、これで数年間、若い人が挑戦できないという事態が起こりました」

 制限撤廃は武安専務理事が中心となって進めたと思われるが、出場資格制限を推進した範士たちが健在であり全剣連役員にも名を連ねていた中で、相当の軋轢や苦労があったと想像する。その2年後の1997年(平成9)に武安氏は全剣連会長となり、称号段位規則の改訂などさまざまな改革を行っていくが、今でもその実に歯切れのよいコメントが最も耳に残っている。

 その年(剣道日本1998年2月号)、武安新会長にインタビューをさせていただいた。記事のタイトルは「前途は明るい!」となっている。インタビューの中で武安会長自身がその通りに発言しているが、この人が会長であれば前途は明るいと私も感じていたのだと思う。

「竹刀と日本刀は違いますよ」

 2000年の剣道称号・段位審査規則改訂には賛成できない面もあったし(九段・十段はあった方がいいと今でも思っている)、時が過ぎて90歳を越えた人が会長を続けるということに疑問を持ったこともある。真偽が分からないので書けないが、よくない噂も耳に入った。

 武安会長就任当時に感じたほど剣道の前途は明るくなかった、と今は言わざるを得ない。しかし、本書を編集して感じたのは、他の誰かが会長だったらもっと前途が暗くなっていた可能性が高かったのではないか、ということだ。

 前出の「剣術から剣道へ」の中で武安会長は次のように述べている。

「これは言わないでもいいのですけれども、竹刀と日本刀は違いますよ。

(中略・戦時中に所属していた軍隊では)刀を抜いて戦争する様なものではなくて指揮用です。(中略)礼式用にしか使わなかったですね。

(中略)日本刀は武器としては熟練を要して使用し難く、実用性の点では高い評価を与え難い。そんなに使い易い物ではない。これは私の考えです。下手に切ると曲がったりしますね。刀が『曲がらず、折れず』などと言うのはおかしくて、曲がるのです。あれは『曲がるから、折れない』という事で飾りなのですね」

 刀から木刀に持ち替え、竹刀剣道になったのは、剣術の「イノベーション」である、とも述べている。日本刀(軍刀)を手にして戦場へ行った人の貴重な証言であるとともに、平成の時代まで生きた人としてとてもまっとうな物の考え方だと思う。武安会長は一世紀余りを生きた人であるが、時代の流れに最後まで遅れていなかった。

 それはやはり本書でも詳しく紹介しているように、科学技術庁など社会の第一線で仕事をし実績を残してきた人物であるからこその見識なのだろう。同年代(武安会長は大正9年生まれ)で、戦前に武道専門学校や国士舘大学などで学び剣道専門家を志した人の中には、竹刀は日本刀であり日本刀のように遣わなければならない、という観念に固執していた人も(全員ではないが)少なくなかった。

 令和の世にもこんなリーダーが現れることを期待したい。

2024年5月15日記

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