東野圭吾さんと重なる私の剣道経験から、剣道の指導法について思うこと

観の目見の目

 東野圭吾という作家は多くの方がご存知だろう。『秘密』『白夜行』『ガリレオ』シリーズなど多くの作品が映画化、ドラマ化されているベストセラー作家である。

 彼が剣道についてこんなふうに書いている。

「中学では剣道部に入った。武道というものを一度やってみたかったからだ。男らしいというイメージがあるし、あの防具も格好いいと思った。しかし練習はきつかった。特に入部当初は地獄だった。それまで先輩から頭を押さえ付けられるだけだった二年生が、ようやく奴隷ができたとばかりにシゴくからだ」

 でも東野さんが本当に嫌だったのはそこではなかった。

「しかしまあ練習のきつさはいずれ馴れる。二年生になれば、しごかれることもないわけだ。だがどうしても馴れなかったのは、汗みどろの剣道着や防具を身につけることだった。特に真夏に面をつけていると、あまりの臭さに鼻がひん曲がりそうになった。また汗で濡れた剣道着を翌日着る時の不快さには、たまらないものがあった」

 結局東野さんは、高校生になったら「もう少し小奇麗なクラブに入ろう」と思って、陸上部に入った。(以上『あの頃ぼくらはアホでした』集英社文庫より)

 東野さんの年齢からするとこれは昭和40年代半ば頃の話で、今は上級生も指導者ももう少し優しくなっているかもしれないし、防具のニオイに関してももいろいろと改良されている。でも、彼と同じように、剣道を始めてはみたものの、ほどなく離れていってしまう少年少女は今も少なくないと思う。

 実は私自身も同じような経験がある。私は剣道経験者ではないが、入学した高校では柔道か剣道が必修で、2年生の前期まで1年半、週1回ずつ剣道を授業で習った。柔道ではなく剣道を選択したのは、小学校6年生のときに放映されたドラマ『おれは男だ!』のイメージが残っていて、剣道はカッコいいと思っていたからである。主演の森田健作氏がカッコよかった(現在、千葉県知事としての彼はとてもカッコよいとは言えないが)。

 しかし授業で体験してみて私が抱いた剣道の印象は、「イタい」「クサい」の二語に尽きる。

 基本技の稽古で、高校の剣道部員や小学校で剣道をやっていたという生徒と組み、面や小手を打たれるととてもイタかった。やがて互格稽古に近いようなところまで進むと、そういう相手に打たれまくった。剣道部のK君は「遠慮しないで打ってきていいよ」と言うのだが、目の前に相手の竹刀があるので、いつ、どうやって打ったらいいのか分からなかった。

 そして、防具はクサかった。当然である。前の時間は他のクラスが授業をしていて、終わって10分しかたっていないのだから、前の時間に使った生徒の汗が染み込んで、というよりまだ浮いていて、湯気をあげているようにさえ見えた。自分の汗でも気持ちのいいものではないのに、そんなものを身に着けさせられるのはたまらなかった。

 こう書くと、読者は私が文化部かなんかに所属する、ひ弱できれい好きな高校生だったと想像するかもしれない。真逆である。私はサッカー部に所属し学業成績は中の下、体育と音楽の成績が一番いいという生徒だった。球技などの運動は得意で、体育の時間が一番の楽しみだった。剣道なんてサッカーに比べれば体力的に楽なもんだと思っていた(当時はきついとはまったく思わなかったが、大人になって剣道日本編集部の稽古に参加してみたら死ぬかと思った)。

 また、不潔さでいえば、サッカーの部活のとき練習着を忘れたら、部室でホコリまみれになって床にころがっている誰かのシャツを平気で来て練習していた。どうせ汚れるのだからホコリまみれでも全然気にならなかった。だけど、それが誰かの汗まみれだったら嫌だったと思う。

 数学や化学の授業もついていけなくて苦痛ではあったが、サボったことはなかった。しかし剣道は本当に嫌で2、3回はサボった。部活で足を捻挫したとかなんとか理由をつけて見学したのだ。実際に軽いケガをしていた時だけだったと思うが、その日の放課後は何事もないように部活に出ていた。

 さて、それから長い時が過ぎ、50歳を過ぎてから高校時代のサッカー部の連中と飲んだ時に、調査も兼ねて当時の剣道の授業をどう思っていたか聞いてみたことがある。集まった5人か6人のうち剣道を選択していたのは3人だったが、3人全員が嫌いだったと言った。俺だけじゃなかったんだ、というのはそのとき初めて知った。

 大学を卒業後、中学の体育教師になっているS君がこう言った。

「剣道部のKってさ、わざと痛いように打ってくるんだよ」

 そう、私には「遠慮しないで打ってきていいよ」と言ったK君のことだ。私がそのことをS君に言うと、

「いや、口ではそういうけど、絶対あいつはここぞとばかり素人を痛めつけてたよ」

 とS君は言う。真偽のほどは分からないが……。

 この飲み会の当時は中学の武道必修化を控えた時期で、体育教師であるS君は柔道か剣道の講習を受けなければならなかったが、柔道を選んだ。

「柔道は教えられそうな気がするけど、剣道は難しくてとても教えられないと思う」

 と彼は言っていた。それもまた重要な論点だが、いずれにしても高校時代の経験から、あまり剣道にいい印象を持っていないのは明らかだった。

 蛇足だが付け加えると、S君は体育教師になるくらいだからスポーツ全般が私以上に得意だった。私の学校では毎年、一昼夜を通して70~80キロほどを歩き続ける「歩く会」という行事がある(恩田陸さんの小説『夜のピクニック』の題材になっている)。その最後の20キロはランニングの競争になる(歩いても構わない)のだが、S君は3年生のときに全校生徒約1200名中4位になった。3年生はもう部活動を引退している時期なので上位に食い込むことはまれで、彼の3年生で4位というのは学校の歴史上でもほとんどなかったことである。ちなみに私は96位。3年生400名中20番目か30番目には入っていたと思うのでまあ悪くはないだろう(1、2年生のときは途中で雨天中止になっていた)。以上は蛇足だが、それだけ体育が好きで得意な高校生が、剣道についてはそう感じたという話である。

 けれども、この1年半の授業の最後から2回目ぐらいで、私は剣道ってちょっと面白いかも、と思った。試合をしたのだが、相手は小学校時代剣道をしていたという体格のいい生徒で、ひたすらバンバンと面を打ってくる。早々に面を一本取られたが、二本目となり、私は授業のどこかで教わった抜き胴という技を思い出し、相変わらず面だけ打ってくる相手に対し出してみたら、見事に当たったのである。先生と剣道部の2人が審判をしていたが、3人ともパッと旗をあげた。それは快感だった。

 勝負となり、またも相手は面を打ってくるので同じように抜き胴を打った。当たったことは当たったが、さっきよりも相手に食い込まれたというか窮屈な技になった。審判をしていた前出の剣道部K君が旗を上げかけたが、首をかしげてやめた。その判定はまあそうだろうなと納得できた。結局そのあともう一本取られたのか、引き分けだったのかは覚えていない。

 1年半、たぶん35時間か40時間ぐらいは剣道の授業を受けた。1時限は90分だったので、授業で習ったにしてはかなり多いほうだったと思う。思い起こせば最後にちょっとだけ面白さを知ったのだけど、やっぱり全体としてはイタい、クサいが思い出として残っている。

 高校生だから運動能力としてはピークに近かっただろうし、体育が得意、そして授業時間もかなり長かった私でさえも、ようやく最後にちょっとだけ面白さを知ったのである。中学生で、授業の回数ももっと少なくて、体育が得意ではない子だったら、面白いと感じる可能性は限りなく小さいのではないだろうか。

 指導教官は国士舘大学を卒業した30歳前後のM先生で、そのあと別な学校に移ってインターハイ出場を果たしている(もちろん剣道日本編集部に入ってから知ったことだが)。声を荒らげるようなこともなく、丁寧に教えてくれた。先生に対してまったく嫌な印象はない。

 ただそれがベストの教え方だったとは今となれば思えない。

 たぶん、しかけ技、応じ技などを順を追って教えてくれたと思う。だから最後に私は抜き胴が打てたのだ。ただそれは相手が打ってきたからで、構え合ったときに自分からどうやって打っていけばいいのかは分かっていなかった。払い技とか二段技などしかけ技も教わったのかもしれないが、それをいつ打てばいいのかまでは教わらなかった。

 剣道日本編集部に入って佐藤成明範士が著した『剣道・攻めの定石』を読んだときに、初めていつ打てばいいのかが分かった。相手が剣先を下げれば面に隙ができる、手元を上げれば小手や胴が隙になる。そこを打てばいい。その機会をどうやって作るかも説明していた。そんなことは、高校の授業では教わらなかった。

 高野佐三郎に始まるしかけ技、応じ技などの体系はもちろん合理的な分類である。高校時代に教えてくれたM先生もそのメソッドを踏襲していた。剣道経験者を強くする指導者としては優れた人だったのだろう。けれども一般の生徒に剣道を好きにさせる力はなかったのではないかと思う。

 高野の『剣道』から100年が経った今でもそのまま教えている、というのではあまりに情けないと私は思う。初心者を教えるために、今の時代にあったメソッドがぜひ必要だ。

 佐藤範士の著書は、あの時代にしては画期的だった。しかしそれから40年が経ってどれだけ進歩しただろうか。それを発展させ、もっと初心者にもわかりやすい教え方をどんどん探求していくべきだと思う。

 中学で正課になったのだから、私が1年半、たぶん90分×35時間学んでちょっとだけ面白いと思ったことを、たとえば45分×10時間ぐらいで味わわせてあげなければいけない。そうでなければ、中学で必修授業で学んだ子が剣道を好きにならない。

 授業で剣道を習った子が剣道部に入らなくてもいい。剣道って面白いなと少しでも思ってくれればいい。剣道を続けなくてもファンになってくれればいい。そうすれば剣道が一般の人たちの間でもっと話題になる。剣道を始める子も増えるだろう。

 だが現状では、必修授業で学んだがゆえに、逆に剣道を嫌いになる子の方が多いのではないだろうか。剣道なんて二度とやりたくないと思う子、剣道の試合をテレビで放映していても見たいとも思わない子を、続々と生んでしまっているのではないかと私は危惧している。

 少年剣道の現場、中学の授業の現場では、剣道を好きになってもらうメソッドを工夫している指導者が少なからずいる。子どもが多い道場、実績を残している道場には必ず、なるほどなと思うやり方がある。剣道界全体として、そういう試みもディスカッションしながらどんどん取り入れて、剣道を好きになってもらうメソッドを確立し共有していく必要がある。

 そうでなければ、剣道をする人は少なくなるばかりである。

(2020年2月記)

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