2017年に解体された奈良武徳殿は、支部武徳殿の中で最も古い文化遺産だった

美しき道場

2015年にはまだ稽古が行われていた

 奈良県橿原市の奈良武徳殿が2017年に取り壊された。この建物は1903年(明治36)、奈良市登大路に面した現在の奈良県庁舎敷地の一角に竣工したもので、戦後の1961年(昭和36)に橿原市に移築され、橿原公苑柔剣道場として使用されていた。

 2001年に『剣道日本』「剣道歴史紀行」という連載の取材で石神卓馬氏らとこの道場を訪れた。石神氏は記事の中でこう書いている。

「ちょっと待て。この建物は明治三十六年六月に竣工しているから、現存する武徳殿のなかでは、明治三十二年三月に竣工した京都(本部)武徳殿についで古いのではないか。ひとびとから、もっと丁寧な処遇をうけてしかるべきであろう。失ってからたいせつさに気づいても、もう、遅い」

 石神氏の予言通りになってしまった。明治28年に大日本武徳会が創立され、各府県に次々と支部が結成されるとともに、本部武徳殿に続いてそれぞれの支部の道場として武徳殿が建てられる。その後多くの武徳殿は、第二次世界大戦の戦火で消失したり、老朽化のため解体されていった。明治36年という早い時期に建てられた奈良武徳殿は貴重な文化遺産だった。

 2001年の時点であまり大切にされていないという印象を石神氏は抱いていたが、2015年に『剣道日本』の表紙撮影のために訪れたときは、さらに心配は大きくなった。天井の梁の一部がゆがんで下がっているように見え、もはや危険な状態なのではないかと思ったし、管理する奈良県立橿原公苑の事務局の方に話を聞いても、修理の予算が回ってこないと何とも答えにくそうだった。

 それから2年足らずで解体が決まった。

「道場が古かろうか新しかろうが、やることは同じ剣道だろう」と知り合いに言われたことがある。本ブログの「観の目見の目」では、剣道を変えていくべきだという主張を多くしているのと矛盾していると感じる方もいるかもしれない。しかし、剣道着・袴でなくジャージやスポーツウエアで剣道をしたら、やることは同じでももはや剣道には見えないだろう。道場もそれと同じだと私は思っている。剣道が剣道らしく見 える空間、日本の伝統を受け継ぐものに 見える舞台というものがあると思う。歌舞伎や大相撲の舞台のように。

 剣道を伝統文化として後世に伝えていくならば、 昔ながらの道場は、古を想像させてくれる形ある物の一つである。それがとくに剣道になじみのない人にとって、剣道を魅力的だと感じる要素の一つだと思っている。私自身がかつて京都武徳殿や明治村無声堂で剣道を見て、その良さや深さを感じたからだ。

 各地の武徳殿をはじめ戦前までに建てられて現在も残っている道場の多くが、どこかの時点で解体の危機を迎えている。抗しきれずに解体されてしまった道場は実に多い。残っている道場は存続のために多大な努力した人たちが必ずいた。残さなければならないと考えて行動する人がいなければ、すべていつかはなくなってしまう。

 奈良武徳殿は約115年の寿命だった。長い方だったのかもしれない。

 奈良武徳殿は京都方面から走って近鉄橿原神宮前駅の手前、電車内から見える場所にあった。2018年のある日電車で通り過ぎると、そこが更地になっているのが見えた。

(2019年2月記)

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