昭和40〜50年代の全日本選手権映像に見る、出場資格制限の意味

観の目見の目
昭和50年(1975)の第23回全日本選手権試合風景

間合が近くなったのは「三所隠し」が原因

 Youtubeの「剣道日本チャンネル」で、昭和40年代から50年代にかけての全日本選手権の映像が公開されている(2022年1月17日現在は2本のみだが、順次追加される)。これは金沢大学の惠土孝吉名誉教授が当時16ミリフィルムで撮影したフィルムをデジタル化したものだ。『剣道日本』2022年3月号に関連記事を書かせていただいた。
※映像はこちらで見られます。

 私が剣道日本編集部員となる前の時代なので、初めて目にする映像だったが、今はない一種独特の緊張感がある。何が今と一番違うかというと、惠土先生やコメントしている当時の選手の方々も指摘している通り、今よりも間合が遠いことだ。よく足を使って自分の間合を作って跳び込む。遠間から打っていく技もある。

 では、なぜ今は間合が近くなったのか。「三所隠し」が出てきたから、という惠土先生の指摘で腑に落ちた。「三所隠し」で間を詰めれば打たれないから間が近くなった。その通りだろう。当時の選手の方々も同じ意見を述べている。

 では「三所隠し」をなくすにはどうすればいいのか。指導者がそれをするなと口をすっぱくして言えばいいのか。でもその方が勝てるからと放任する、あるいは進んで使わせる指導者は必ずいるだろう。「正しい剣道ではない」「日本刀を使う技術ではない」と説いて抑え込もうとしても、試合で勝つためにそれが有効であれば、使う選手は必ずいる。

 なぜなら、前述の剣道日本の記事の中で惠土先生が述べているように、勝ち負けが自分の将来や警察官としての生活を左右するのだから。そして私の意見としては「正しい剣道」だけが剣道ではないし、古流剣術の中にも左拳を上げた構えや打ち方は存在する。

 私は逆胴をもっと積極的に一本とすることが一番有効だと思う。逆胴には旗が上がりにくい。左胴はもともと刀を差していたから一本にしないとか、刃筋が通りにくいという理由で、旗を上げない審判員もいる。しかし、あれだけ左胴を大きく空けてしまっているのだから、むしろ軽くても一本にすべきだ。そうすれば「三所隠し」がまったくなくなるわけではないが、簡単には使いにくくなる。

 技術は生き物のように変わっていくものだし、規則や審判によって変えていくことができるものだと思う。

 「三所隠し」を使わないまでも、現在の剣士たちが守りを重視していることが剣道の醍醐味を奪っていると私は思う。そう考える人は多いのではないか。それも「剣道は攻めが大切」「先をかけろ」と説いてもあまり効果はない。やはり規則やその運用によって変えていくべきだ。柔道のように攻めない選手には注意を与え、何回かで一本にするというルールだと、かたちだけ攻めているように見せる選手が出てくることは予想されるが、ないよりはいいかもしれない。あるいは延長を15分まで行って両者の技が決まらなければ両者敗退にすれば、時間がなくなれば多少のリスクを犯しても一本を取りに行くだろう。いろいろと考える余地はあると思う。

なぜ出場資格が六段以上になったのか

 話は変わる。今回公開された映像で最も新しいのが昭和57年の大会だが、この2年後から、全日本選手権の出場資格が六段以上に制限される。それはつまりこの時代の剣道が良くないと評価されたことになる。しかし正直に言うと、さらに前の時代を知らない私には、何が悪いのかまったく分からなかった。

 昭和59年、六段以上となった最初の全日本選手権の後の座談会で、当時全日本剣道連盟常任理事・普及委員長の市川彦太郎範士が出場資格制限の理由をこう語っている。

「ただ勝ちさえすればよいというような考えや何とかして当ててやろう式の試合の増加です。本道を少し外れかけている、あるいは崩れかけているんじゃないか」(『剣道日本』昭和60年1月号)

 これが高段者を代表する見方なのだろうが、今回記事を書くために当時の『剣道日本』を読み返してみると、剣道日本編集部あるいは剣道評論家の方がそれ以上に全日本選手権を酷評しているのに、(以前も読んだことはあったが)改めて驚いた。

「『なにがなんでも勝ちたい』をお題目としているから、結局は無様を演じてしまうのだろう。(中略)ここらあたりから考え直していかないと本物の剣道は育つまい」(昭和52年の大会記事)

「全日本選手権大会は若者の大会化して、技の妙、攻め合いの妙技など観客をうならせるような試合は一つたりともないに等しい」(昭和53年の大会記事)

「今年の大会は“ハテ?”と首をかしげたくなるような攻めのない剣道、あるいはスピードだけにたよる剣道が目だち、目をおおいたくなる凡試合の連続だった」(昭和54年の大会記事)

「画期的な改革をすることが必要な時期に来ているのではないか。今大会を通じて強くそれを感じた」(昭和51年の大会記事)

 その画期的な改革が六段以上という出場資格制限なのかどうかは分からないが、『剣道日本』のこの論調が、それにつながったと言えるかもしれない。

 昭和55年ぐらいからは、編集部のメンバーが変わったためと思うが、批判は少なくなっている。しかしこんな記事もある。

「ここ数年の(全日本選手権の)観客動員数は低調の観がある。(中略)見飽きて途中で帰る人数が多いのだから困ったものだ。『捨て身の一本が少ない、理合にかなっていない、手先の稽古が多い……』」(昭和59年4月号「全日本の観客が年々減っているが……」)

 先輩方の記事を批判することになるが、私が編集部に在籍したのはこの記事の翌年の昭和60年から平成17年まで。試合がつまらないと思ったことはあるけれど、こういう角度からの批判は書いたことがない。試合という形式で行なう以上、勝つためにベストを尽くすのは当然であり、試合内容がよくないのは競技者の心がけの問題ではなく(前述のように心がけを説いても選手は従わない)、ルールやその運用、審判員によって、いい内容になるように導くべきだと思うからだ。

 戦後、昭和27年まで剣道が実質禁止されていたこともあり、昭和30年代は戦前戦中に剣道を習った30代の選手が全日本選手権の主役だった。しかし戦後30年が経ち、剣道復活から20数年が経って、戦後に剣道をはじめ、高校、大学、あるいは警察でも充分に稽古を積んだ世代が中心になったのがこの頃である。それらの選手は基礎体力も充分にあり、遠間からパワーやスピードを利して技を決めるようになった。そういう変化を高段者(と剣道日本編集部)が嫌ったのだと思う。

 それがこの時代の技術の傾向だった。前述のようにルールを決めて勝ち負けを決める試合をやっている以上、そういうふうに技術は変わっていくものだと思う。あれはダメ、これはダメと言っても変わってしまうものだ。

出場資格制限と剣道人気

 私は昭和60年(1985)年から、1回を除き欠かさず全日本選手権を見てきた。平成26年(2014)に竹ノ内佑也選手が最年少で優勝したあたりからの大会は面白くなってきたと感じている。とくに『暫定的な試合審判法』のもとで行なわれた最近2大会は面白かった。ただ、すべての選手が守りを重視しているのは確かで、もう少し技が決まって欲しいとは思う。

 では今の剣道の方が、今回公開した時代と比べて人々を惹き付けるだろうか? 私はそうは思わないけれど、この時代と比べて今の方が前後の動きが少ない、間合も近い、という意味で今の方がよくなったと評価できるのかも知れない。当時批判していた人たちが見たらなんて言うだろうか?

 でも、もし今の剣道の方がいいという人がいたとしても、それは皮肉にも「三所隠し」によってもたらされたのだ。

 六段以上の出場資格制限はわずか6年、そのあと五段以上となって2年ですべて撤廃された。出場資格制限では剣道が良くならなかったからだ。そして昭和の終わりから平成初頭をピークに剣道人口は減り続けている。

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