大会初期には及ばずとも、より短い時間でより多くの技が決まる全日本選手権に期待

全日本選手権物語
かつては全日本選手権で判定制が実施されていた

 少し趣向を変えて、昔と今の全日本選手権の違いについて考えてみたい。

 初期の全日本選手権大会(あるいはさらに古い昭和天覧試合)の記録をざっと見ただけで、昔は今よりも多くの技が決まっていたことに気づく。現在は一本勝ちで決着する試合のほうがむしろ普通で、しかも延長の末、ということも多いが、かつては二本対一本、二本対〇本というスコアで終わっている試合が非常に多いのだ。実際の数字を細かく調べてみることにした。

 なぜそれが気になったかというと、やはり一本(ポイント)が決まる瞬間こそ、その競技(武道であれスポーツであれ)の一番の醍醐味であるからだ。その場面が多く出現する方が、剣道を知らない人も「面白い」と感じ、剣道に興味を持つ人や始めてみようと思う人が増えることにつながるだろう。高校生や大学生、あるいは実業団などの団体戦で5試合連続でで両者一本も奪えず引き分けて、代表者戦で決まるという試合は、珍しいというほどではないと思う。その試合は選手自身や応援する部員、選手の家族にとっては手に汗握るものかもしれないが、無関係の剣道を知らない人が見たら、やはりかなり退屈な試合だろう。

 また「新型コロナウイルス感染症が収束するまでの暫定的な試合審判法」(以下、「暫定ルール」と記す)がどんな影響を及ぼしているかも知りたかった。

 詳細な結果はいずれ何らかの形で発表したいが、大まかな傾向をここで報告しておくことにする。

一時期の全日本選手権はほぼ一本勝負だった

■大会全体の有効打突総数
第1回(1953) 109本(53試合)
第38回(1990) 64本(63試合)
第72回(2024) 81本(63試合)

 1953年の第1回全日本選手権大会では1回戦から決勝、そして3位決定戦まで53試合が行われ、合計109本の技が一本となった。1試合あたり2.06本の有効打突が見られたことになる。

 それに対し最新の第72回大会(2024年)では、63試合が行われ、合計81本の技が一本となった。試合数が増えているのに決まり技は減っている。1試合あたりにすると1.29本である。つまり、第1回大会では1試合で2本以上の有効打突が見られたが、第72回大会では約1.3本しか見られなかったことになる。三本勝負という規則上最大でも3.0本、最小で1.0本(後で述べる判定制採用時はこれ以下になる可能性もあったが)なのだから、これは決して小さな差ではない。

 第1回大会が特別だったわけではなく、第2回大会は120本と歴史上最多となり、第4回大会までは100本を超えていた。その後90本台、80本台と徐々に少なくなり、第31回大会(1983年)には初めて70本台となる。

 翌年の第32回大会から六段以上という出場資格制限とともに、判定制度が取り入れられる(延長3分×2回で勝負が決まらない場合判定で勝敗を決める)。当然有効打突数は少なくなるが、劇的に減ったわけではなくほぼ70本台が続いた。第37回大会(1989年)からは試合数が63に増えたが、それでも有効打突数は増えず、上に記したように第38回大会(1990年)は64本となり、現在までのところ最小を記録した。63試合で64本、つまりほぼ1試合1本である。全日本選手権は実質一本勝負になっていた。

 第39回大会(1991年)を最後に判定制が廃止されても、やや持ち直したという程度で有効打突総数は長く70本台が続いた。それがやや増加に転じたのは、竹ノ内佑也選手が史上最年少優勝を果たした第62回大会(2014年)あたりから、つまりここ10年ほどのことで、ほぼ80本台が続くようになった。

「暫定ルール」が初めて採用された第68回大会(2020年度・21年3月開催)では、有効打突総数が96本と激増した。この大会は警察官が出場しなかったため、力の差がある対戦が多くなったという要因もあったと推察する。その後は第69回78本、70回91本、71回86本、そして72回81本と推移している。

二本以上決まった試合が63試合中わずか4試合だったことも

■二本以上の有効打突があった試合数
第1回(1953) 41試合(53試合中)
第57回(2009) 4試合(63試合中)
第72回(2024) 15試合(63試合中)

 次に、二本以上が決まった試合(二本対〇本、または二本対一本)がどのくらいあったかを調べてみた。第1回大会は53試合中41試合で、全試合の4分の3は二本以上の技が決まっている。こちらは減り始めるのが早く、第5回大会(1957年)では26試合と、早くも全試合の半分以下となった。その後は20試合台で安定していたが、判定制があった35回大会(1987年)で14試合と、初めて10台となり、以後判定制がなくなっても10台が続いた。

 その中で第40回大会(1992年)は7試合と初めて一桁になり、この年を含め第59回大会(2011年)までに7回一桁の年があった。そして最小となったのが上にあげた2009年の4試合である。総本数よりも時期がやや後ろにずれているが「実質一本勝負化」がこの数字からも見て取れる。

 この数字については「暫定ルール」の影響がより明らかに現れており、初年度の第68回大会で27年ぶりに20試合に達すると、以後第69回大会は14試合と減ったが、第70回24試合、第71回20試合、第72回15試合と続く。増える傾向にあるといっていいだろう。

■平均試合時間
第44回(1996)7分48秒
第48回(2000)8分58秒
第67回(2019)7分58秒
第69回(2021)6分11秒

 大会創設当時を含め平均試合時間の資料はほとんどないが、「剣道日本」に記載があった中で一番古い数字と最長の数字、全日本剣道連盟が発表した「全日本剣道選手権大会(男・女)試合分析報告」にある「暫定ルール」前後の第67回、第69回大会の数字を紹介した。

 ここでは「暫定ルール」の影響がよりはっきりと現れている。 ただし別記事では、2000年代後半、あるいは2010年代から試合時間が短くなってきた印象があると書いたが、2019年の数字を見ると、実は1990年代とそれほど変わっていなかったようだ。

なぜ決まり技が少なくなり、その後増加に転じたのか

 なぜ、大会初期に多くの技が決まっていたのに、1990年代、あるいは2000年代前半にかけて減っていったのか。大きく三つの理由があると思う。

 一つは別記事『剣道に鍔競り合いはいらない?「コロナ暫定ルール」が恒久化されて剣道が変わった』で、鍔競り合いに関する規則の変遷について触れた通り、試合規則や大会規則、枠組みの変化によるもの。上記のように一時期導入された判定制制度も当然大きく影響している。

 二つ目は防御技術が高まっていったこと。「剣道に防御はない」などとも言われるが、勝負が高度化すれば防御能力を高めようとするのは自然なことだ。そして技が決まりにくくなって、実質的に一本勝負に近づくほど、その一本を失わないことを心がけるだろう。無理をせず、まず防御を固めるような戦い方が多く見られるようになっていった。

 三つ目は推測でしかないのだが、大会初期は現在よりももっと軽い技に旗が上がっていたのではないかと思っている。私は第33回大会(1985年)から本大会を取材し始めたが、ある時期、回数を重ねるごとに徐々に確実な打突だけを一本と判定する、という意識が高まっていったような印象を受けた。審判経験者の話では、審判講習会では確実な一本にだけ旗を上げるよう指導されることが多いようだ。

 証言としてあげられるのは、先年亡くなった惠土孝吉氏から聞いた話で、確か第13回大会(1965年)の準決勝で、延長2回目が始まる時に主審が両試合者を呼んで「ここからは軽くても取る」と言ったそうである。その頃は審判員の裁量で、試合が長くなりすぎないようにコントロールしていたのかも知れない。

 こうしてみると今後、1950年代のように多くの技が決まる全日本選手権大会に戻ることは考えにくいが、「暫定ルール」の効果で、より短い時間で有効打突が決まるようになっていくとすれば、剣道の試合はより面白くなる、と私は期待している。

2025年9月13日 記

タイトルとURLをコピーしました