剣道は日本の伝統文化だと、剣道に関わる人のほとんどは考えているだろう。その伝統文化たるゆえんの一つは「形」があることだ。それも多くの人が認めるところであろう。武道に限らず、日本において文化を伝承する手段として「形(型)」は中心的な役割を果たしてきた。
ところが、他の武道と比較して、最も形を大切にしていないのが剣道である。このことに気づいているだろうか。
たとえばなぎなたでは、戦後全日本なぎなた連盟が発足した当初から試合と形試合が行なわれている。空手道ではオリンピックやアジア大会でも組手部門と形部門がある。柔道では、1997年(平成9)から全日本柔道形競技大会が行なわれ、2007年からは講道館柔道「形」国際大会も実施されている。
形は競技にするべきものではないという反論があるかもしれない。しかし全日本剣道連盟傘下でもとうの昔に居合道の形を競技にしている。
柔道の形について調べてみた。全日本柔道形競技大会では当初は3種の形だけで競ったが、現在は7種目が行なわれている。改めてその本数を調べてみて驚かされた。以下の通りである。
投の形(15本)、固の形(15本)、極の形(20本)、柔の形(15本)、講道館護身術(21本)、五の形(5本)、古式の形(21本)。合計112本である。
柔道でも剣道と同じように昇段審査に形審査がある。初段で投の形(手技、腰技、足技のみ)、二段で投の形全部、三段は固の形、四段は柔の形、五段は極の形、六段は講道館護身術、七段は五の形、八段は古式の形である。つまり112本全部覚えなければ八段にはなれない。
それに比べて、全日本剣道連盟として行なっているのは日本剣道形の10本のみだ。それも審査で課すのと、大会前の演武のみである。
どこからどう見ても、柔道の方が剣道よりも圧倒的に形を大切にしている。
柔道界では形競技大会が始まった時期を見ても、比較的近年になって形重視の流れが加速しているようだ。柔道はオリンピック種目にもなってスポーツ化した、剣道は柔道のようになってはならない、という意見が剣道関係者からよく聞かれるが、この事実を知れば、とてもその意見に与することはできない。少なくとも形に関して言えば、柔道の方がずっと伝統を大切にしている。
いくら多くの形を覚えたからとはいえ、競技での技が形のようになるかどうかは別問題かもしれない。競技の性質上、柔道の場合中高年になると試合から遠ざからざるを得ないので(そういう年代の大会もあるが)、年齢の高い人たちが熱心に形に取り組むのだろうと想像はできる。
幸いなことに、全日本剣道連盟に所属しない人も多いが、古流剣術の形は多数伝えられている。それを審査に取り込むことは、今からでも十分可能である。
県単位、道場単位などで日本剣道形の競技大会を行なっている例はいくつかある。剣道形の稽古に一生懸命に取り組み、そこに試合とはまた違う楽しさを見出している人たちの話を聞いたこともある。まずは日本剣道形だけでもいいから、全国的な競技大会を始めてほしい。伝統文化だというなら始めるべきだと思う。
形の善し悪しを審査するのはもちろん簡単ではない。しかし前述のように全剣連では居合道でそれをすでに実行している。また、八段なら形に精通しているというわけではないというのが現状だろう。柔道の形大会では、公認形審査員規程がある。国際柔道連盟にも審査員規程がある。全柔連には平成21年に形特別委員会が設置された。そういうやり方に習うべきだと私は思う。
将来的には剣道の名のもとに多くの古流の形があり、求めればどの古流の技も学ぶことができるようになるのが理想だと思う。門外不出とか言っている時代ではない。居合道でも複数の流儀を学ぶことは難しいのが現状ではある。しかし、たとえば一組の演武者が柳生新陰流も小野派一刀流も二天一流も演武できて、馬庭念流が得意な組もあれば、香取神道流が得意な組もある。20代で全日本選手権に出た2人が50代で全日本剣道形選手権で優勝する。そんなふうになったら楽しいし、形も含めた剣道に対する注目度も、日本だけではなく世界的にアップすると思うのだ。
(2021年2月記)