第19回世界剣道選手権を見て。韓国の変化と大会の今後

観の目見の目
写真は2015年の第16回大会

韓国は路線変更で強くなるか

 2024年7月、6年ぶりに世界剣道選手権大会(第19回)が開催された。結果は皆さんご存知の通り4部門とも日本が王座を守った。私は現地取材ができる立場にはおらず、以下は配信された映像を見た感想である。

 最も印象的だったのは韓国チームの変化だった。まず見た目からして、前回までの上下白で袴にラインの入った独特の装いではなく、普通の藍色の稽古着袴になった。

 戦いぶりも、パワーにまかせて打つ、微妙な間合や完全に分かれないところから打つといった独自の剣風は影を潜め(コロナ以降のルールの影響もあるのだろうが)、日本と同じような正統派の剣道で真っ向勝負を挑んできた印象だった。そして上段の草野選手を破った中堅の選手は最初から主導権を握っていたし、副将も竹ノ内選手から一本を先取し日本をヒヤリとさせた。

 聞くところによれば、韓国の剣道連盟の首脳陣が交代したことにより方針が変わったらしい。つまり日本的な正統派の剣道を志すようになったのだろう(一部の選手は相変わらず判定に対する不満を態度に表していたものの)。この変化を見て、韓国はこれから強くなるのではないか、と感じた人が多かったようだ。

 しかし結果だけを見れば、日本は久しぶりの完勝だった。男子個人戦で日本勢がベスト4を独占したのも、男子団体戦で大将戦の前に勝敗が決したのも、1994年の第9回大会以来実に30年ぶり、9大会ぶりのことである。つまり戦績としては日韓の差は前回までの20何年かよりも広がったことになる。

 私は今後、過去30年よりもより日韓の差が広がる可能性があるのではないかと思う。

 ふと頭をよぎったのはサッカーの例である。サッカーの日韓戦(A代表)は通算で日本が16勝42敗と大きく負け越しているが、1993年のJリーグ発足以降では9勝10敗10分とほぼ互角である。しかし2018年にポルトガル人が韓国代表の監督になったあたりから、韓国がそれまでの体力とスピードに頼ったサッカーから、日本のようにパスをつなぐサッカーに変わってきた。すると最近の2回(2021年と22年)の対戦は日本が3─0と完勝した。

 サッカーであれ剣道であれ、体力と気力を前面に出してなりふりかまわぬ戦いをしてくる方が韓国は強いのではないか、という気がするのだ。その方が怖かったし、そういう戦い方の方が彼らの国民性にマッチしているのではないだろうか。

 今回は竹ノ内選手が一本を奪われたまま敗れればリードを奪われて大将戦になるところだったが、いずれにせよ竹ノ内選手が少なくとも引き分けにはするだろうと思いながら見ていた。同点に追いついた小手はやや日本に甘い判定にも感じられたものの、ひっくり返すまでの迫力が韓国選手に感じられなかった(私の感想です)。

 韓国はパリ・オリンピックでほとんどの団体種目が出場権を得られず、48年ぶりに選手団が200名を切って140名程度になったことが報じられており、韓国のスポーツが弱体化していると指摘されている。

 日本以上に少子化が深刻であること、そしてこれは以前からのことだが、高校生になってスポーツをするのは一部の強豪選手だけで、他の大部分の生徒は受験対策に追われ日本のような部活動はしないために選手層が薄いこと、などがその要因としてあげられている。そんな状況の中で、果たして今後もこれまでのように鍛えられた剣道選手が育ってくるだろうか。

審判員を除けばいい大会だった?

こう書いてきたが、私は韓国の変化を歓迎していないわけではない。韓国首脳陣の判断を尊重するし、今後は本格的な剣道同士のレベルの高い戦いが見られるという期待も持っている。

 剣道はサッカーのようなスポーツとは違う。スポーツならその国の民族の体格的特性や国民性を活かして戦うのは当たり前で、バスケットボールで平均身長の低い日本がアジリティや器用さなどを活かし、3ポイントシュートの技術を磨いて、近年戦績を伸ばしているのがその好例である。

 しかし武道である剣道には日本が長い年月で培ってきた理想の姿があり、ルールにない部分も含めて世界中の剣士がそれに近づくために努力をすべき、という考え方が一般的なのだと思う。剣道の海外普及とは剣道を「国際化」するのではなく、日本の剣道を「国際普及」するのだ、というのが元全剣連・国際剣道連盟会長の武安義光氏の方針だった。韓国もその趣旨を理解しこれまでのスポーツ的なアプローチから、武道的な強化法へ方針を変えたとも言えるだろう。

 6年前の第17回大会では、とくに韓国との団体決勝における日本の戦い方が、とても模範になるような剣道ではないという批判が、高段者を中心にあった。今回は韓国の戦い方が変わったことによって、そのような批判はあまり目にしない。

 前回よりも世界選手権における日本チームの剣道の内容が良くなった。それはルールの影響もあるが、韓国がやっと正しい取り組み方をするようになったからだ。韓国の剣道も良くなったし、日本は模範を示しつつ、完全勝利を収めた。今後の世界選手権も期待できる。……まとめればそんなふうに感じた人が多いのだろうと思う。

 それを肯定した上で、私はあえて、上記のような「国際普及」を目指すのであれば、現行の世界選手権のあり方は見直すべきだと主張したい。剣道はオリンピック種目になることを目指さないというのは一つの見識だと思うが、現在の世界選手権のやり方は、持ち回り開催、国別の団体戦と個人戦で優勝を争うという意味で、オリンピックとほとんど変わらないではないか。違いは表彰式で国旗を揚げないことぐらいだろう。

 多くの人も指摘している通り、男子団体決勝の審判員は、今回も明らかに力量不足だった。

 とくに目立ったのはつばぜり合い前後の反則を正確に採れなかったことだろう。前回の第17回大会でも、日本国内の試合のようにはつばぜり合い反則が採られないので、つばぜり合いが長く続いた。今回はコロナ以降のルールになったこともあって、少なくとも決勝の主審は積極的につばぜり合い反則を採ろうとしていたように見えたが、何度も合議をしてブーイングを浴びながら、その結果何の反則にもならないケースが多かった。

 日本と韓国以外の審判員にとって、両者の試合をさばくのは荷が重い。これは20年以上も前から「剣道日本」誌上で指摘し続けてきたことである。もちろん国際剣道連盟も改善しようと講習会を重ね努力してきただろう。でも、率直に言ってこれは無理だと思うし、審判員を責めるのは酷だ。その審判員の方々が、本大会以外にこれほどレベルの高い試合をさばく機会がないからだ。審判員を務める機会自体、日本国内のように多くはないだろう。

世界選手権に代わる国際大会を

 さて、1994年の第9回大会以来30年ぶりの完勝、と書いたが、その次の第10回大会は京都で開かれ、決勝では中堅の二本負けで韓国にリードを奪われ、副将宮崎正裕選手、大将石田利也選手の勝利で辛くも逆転した。日韓の壮絶な戦いがここから始まった。

 話は少しそれるのだが、日本における雑誌全体の売り上げ額がピークを迎えたのがその1997年である。しかし2023年現在、雑誌全体の売り上げ額はピーク時の3分の1、月刊誌に限れば4分の1にまで減少している。

 今大会の模様は現地イタリアからYoutubeでライブ配信された。私もそれで見た。そして試合の翌朝にはやはりYoutubeチャンネル「剣道まっしぐら」でより鮮明な映像が、解説、選手インタビュー付きでアップされていた。

 私は「剣道日本」編集記者として、第7回大会(1988年・ソウル)から第16回大会(2015年・日本)までを取材し、写真と文章でその熱い戦いを精魂を込めて伝えてきたつもりだ。ある時期までは人々は雑誌の記事でしか世界選手権大会の模様を知ることはできなかっただろう。しかし、試合の映像に加え、解説、インタビューまでをこんな短時間で世界中に伝えることができるようになった今、少なくとも大会結果(情報)を伝えるという点において、雑誌の役目は終わったと改めて思う。時代は変わったのだ。

 一方、一般のメディアにおける日本での報道のされ方は相変わらずだった。yahooニュースでも、個人で優勝した選手の出身地の地方紙が報じている程度である。あとは結団式の写真で、指導陣が前に座り選手が後ろに立っているのが変ではないか、という記事が流れたぐらいではないか。剣道をしていない人の内で、今回世界剣道選手権が行われ日本が優勝したことを知っている人はどれぐらいいるだろうか。「ほとんどいない」に近いのではないだろうか。

 幸いなことに次回大会は日本での開催が決まった。前回日本で開催された2015年の第16回大会は、日本武道館が連日ほぼ満席となり、マスメディアでもそこそこ取り上げられた。竹ノ内選手が前年に全日本選手権の最年少優勝記録を更新したこともあり、かなり剣道が注目されていた。だから次回はとりあえず期待できるのだが……。

 次々回以降のことを考えると、今回同様、あるいは今回よりもさらに一般社会からの注目度が下がっていくことが予想される。

 その意味でも、このような持ち回りの世界選手権ではなく、発祥国日本に海外の剣士を呼んで開催する「日本オープン剣道大会」のような大会がベストだというのが私の持論である(詳しくは『剣道の未来』左文右武堂刊に書いています)。先に書いた審判の問題もそれで解決できる。その思いを今回さらに強くした。

 日本国内の剣道人口がさらに減っていくことはもう止めようがなく、海外での普及に剣道存続の活路を見出していくしかないと私は考えている。韓国の変化が、世界選手権大会が変わるきっかけになってくれることを願う。

(2024年7月24日記)

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