昭和の剣道

全日本選手権物語

第8回全日本剣道選手権(1960) 21歳の若武者が剣道界に新しい風を起こす

昭和35年(1960)、全日本剣道選手権大会には最初の大きな波が訪れた。それまで7回の大会ではすべて30代、すなわち戦前に剣道を経験していた剣士が優勝していたが、初めて戦後派の20代、それも弱冠21歳の優勝者が誕生した。延岡市にある旭化成の...
全日本選手権物語

第1回全日本剣道選手権(1953) 「誰にも親しめる剣道として…空前の試み」

記念すべき第1回全日本剣道選手権大会は昭和28年(1953)11月8日、東京の蔵前国技館で開催された。『剣道百年』(庄子宗光著・時事通信社)にはこの大会の意義が次のように記されている。 「本選手権大会こそ新発足後の剣道連盟が世に問う最大の大...
昭和の剣道

2万人を超える観客を集めた、昭和31年の第3回全日本東西対抗剣道大会

冒頭の写真を初めて見たときの衝撃は大きかった。昭和31年(1956)4月29日に開催された、第3回全日本東西対抗剣道大会の写真である(第1回全日本薙刀選手権が同時に行われており、写真は薙刀演武の場面。手元には薙刀の写真しかない)。  現在東...
昭和の剣道

大分・国東半島の東端に強豪校があった。国東安岐高校、昭和35年のパレード

昭和35年(1960)、インターハイ男子団体で優勝を果たしたのは大分県の国東安岐高校だった。昭和23年(1948)に開校し、当時の正式名称は大分県立国東高等学校安岐分校。「新時代の覇者たち」という連載で、同校について取材したのは平成3年(1...
昭和の剣道

惠土孝吉さん(金沢大学名誉教授)が求めた、色彩豊かな剣道

(本稿は『剣道日本』2023年7月号に掲載された記事に加筆したものです)  令和5年4月21日、金沢大学名誉教授の惠土孝吉さんが逝去された。全日本選手権2位1回、3位3回など選手として輝かしい実績を残し、指導者として中京大学、金沢大学の学生...
昭和の剣道

「人間わざではない」風のような剣を遣った鈴木守治さん

古い話だが、『剣道日本』の平成3年4月号から1年間、「新時代の覇者たち」という連載を担当した。昭和27年(1952)に戦後剣道が復活してから昭和40年代頃までに全日本選手権やインターハイなどで活躍した選手を訪ね、当時の話を聞いて紹介する連載...