kendomirai

全日本選手権物語

第9回全日本剣道選手権大会(1961)、上段に構える183cmの巨人・伊保清次が、初の40代王者に

第9回全日本剣道選手権大会は昭和36年(1961)12月3日、東京体育館で開催された。前年の第8回大会では初めて20代の桑原哲明(宮崎)が優勝したが、一気に世代交代が進んだわけではなく、この第9回大会に出場した20代の選手はわずか4名だった...
全日本選手権物語

第11回全日本剣道選手権大会(1963)、20代7名のベスト8の中を40歳の矢野太郎が駆け上がる

昭和38年(1963)12月1日に開催された第11回全日本選手権大会を制したのは、兵庫の矢野太郎(40歳)だった。警察官として第3回、第7回の中村太郎(神奈川)に続く2人目の優勝者である。  矢野は第3回大会から第9回大会まで7年連続でこの...
美しき道場

温泉旅館として生きながらえ、登録有形文化財となった福島武徳殿

道場についてのこのカテゴリーの記事は、剣道をする人でも多くは興味を持たないと自覚している。だが、他の記事にも繰り返し書いているように、私は30年余りの「剣道日本」編集部在職中、古い道場の魅力に取り憑かれてしまった。調べずにはいられないし、書...
全日本選手権物語

第2回全日本剣道選手権大会(1954)、西鉄勤務の伏兵・小西雄一郎が警察の猛者たちを蹴散らして優勝

第2回全日本剣道選手権大会は昭和29年(1954)10月10日、第1回大会から場所を移して東京両国のメモリアル・ホールで開催された。前年は昭和24年に新しく建てられた蔵前国技館で行われたが、第2回の会場は元の両国国技館である。会場については...
全日本選手権物語

第5回全日本剣道選手権大会(1957)、初出場で炭鉱勤務の伏兵・森田信尊が上段剣士として初の頂点

第5回全日本剣道選手権大会(昭和32年11月17日、東京体育館)を制したのは森田信尊(長崎・39歳)だった。森田は三菱鉱業崎戸砿業所勤労課に勤務する会社員で初出場。第3回大会にも出場権を得たが勤務の都合で辞退していた。  決勝はやはり初出場...
全日本選手権物語

第24回全日本剣道選手権大会(1976)、教員1年目の右田幸次郎が頂点に。2年連続で教員がベスト4独占

第24回全日本剣道選手権大会は,昭和51年(1976)12月5日に日本武道館で開催された。この年から出場選手が2名増えて58名となる中で、前年に引き続いて教員の選手がベスト4を占めた。優勝したのは国士舘大学をこの年の春に卒業したばかりの右田...
全日本選手権物語

第19回全日本剣道選手権大会(1971)、“静かなる上段”川添哲夫が学生剣士として初の頂点に

昭和46年(1971)12月5日に日本武道館で開催された第19回全日本剣道選手権大会では、学生剣士が初めて日本一の栄冠に輝いた。頂点に立ったのは国士舘大学4年の川添哲夫(東京・21歳)である。  決勝は、2学年上で当時は栃木県警の警察官だっ...
観の目見の目

剣道に鍔競り合いはいらない?「コロナ暫定ルール」が恒久化されて剣道が変わった

やや旧聞に属するが、昨年(2024年)9月1日付けで、2020年度より実施されてきた「新型コロナウイルス感染症が収束するまでの暫定的な試合審判法」(以下、「暫定ルール」と記す)が、ほぼ全面的に恒久的な規則となった。  簡単に言えば、鍔競り合...
観の目見の目

令和6年度の高校剣道人口は下げ止まりの兆候も見えたものの、まったく楽観はできない

剣道人口減少の指標として、高校剣道部員数の推移について『剣道の未来』(2021年刊行)に詳しく書いた。その後の推移について2年前にこのブログでも書いたが、最新の2024年度の数字を紹介したい。  結論から言うと、2024年度(令和6年度)の...
美しき道場

解体の危機に瀕していた京都支部武徳殿は、築100年を超えて見事に蘇った

京都市の東山近くには平安神宮に隣接して武徳殿があり、現在も全日本剣道演武大会などで使用されている。これは大日本武徳会本部の武徳殿として、明治32年に落成した道場である。  その京都市にはもう一つ武徳殿があった。大正から昭和初期の古地図を見る...